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更新日:2010年11月30日

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人物「江戸時代以前」二宮尊徳

二宮尊徳(にのみやそんとく)

1787年から1856年まで

稀代の農村指導家

二宮尊徳像の写真

通称金次郎。生家は小田原藩の豊かな地主であったが、酒匂川の洪水で田畑が荒廃し、さらに14才の時父を、16才の時母を亡くした。

しかし、そのような不幸の中から尊徳は天才的な創意と努力を重ね、30才の時には大地主となり一家を再興した。

その後、小田原藩家老服部家の財政を再建して藩に用いられ、藩主の分家である下野国桜町領(真岡市南部付近)再興を命じられた。1823年、一家をあげて桜町領に移り住み、以後、その死まで30数年間、栃木県での農村復興に取り組んだ。

下野国と二宮尊徳

桜町陣屋跡の写真

桜町領・茂木領・烏山藩などで農村再興に成功した尊徳は、1853年に日光御神領再興を命じられ、仕法の実践にあたったが、1856年今市で没した。

尊徳の説いた「報徳仕法」とは、全ての階層の誰もが誠実に努力を積み重ねれば報われるという実践的な仕法であったことから、勤労を尊ぶ国民性と相まって、今日に至るまで多くの人たちによって継承・実践されてきた。

県内には真岡市の桜町陣屋跡、今市市の尊徳の眠る如来寺、報徳文庫などの他、各地に「二宮掘」などの尊徳の足跡が残されている。


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