那須ってどんなとこ
那須疏水とは
  1. 位置
      那須塩原市西岩崎〜那須塩原市千本松(観象台)

  2. 規模・施設概要
      疏水本幹16.3km(明治18年9月)
        (現在、幹線用水路27.7km+支線用水路305.2km
      計332.9km)   
      西岩崎頭首工(那須疏水取入口、上段幹線取入口は、板室ダム等)
        最大取水量 8.94m3/s(那須野ヶ原用水全体14.69m3/s)
      受益面積4300ha
        大田原市、那須塩原市

  3. 開設時期
      明治18年9月
      (用水統合による全面改修完了は平成6年10月)

  4. 管理運営
      農林水産省(那須野ヶ原土地改良区連合)

  5. 概要
       那須疏水は、福島県の安積疏水、京都府の琵琶湖疏水と共に日本3大疏水と言われるが、古くは那珂川と鬼怒川間の総延長45kmを運河で結び会津・那須・東京の間の水運を確保するという、明治初期の鍋島県令提案による大運河構想に端を発する。その後の鉄道・国道の進展に伴い断念されるが、当時悲願であった飲用水・灌漑用大水路の掘削へと考え方が変えられた。
       明治18年、県令三島通庸や地元有志である印南丈作、矢板武らの尽力により、10万円の事業費(当時の土木局予算の10分の1)が投入され、国の土木局直轄工事として延長16.3kmの那須疏水本幹が、約5ヶ月という驚異的なスピードで開削された。翌年、第1から第4分水路(46.5km)が引き続いて完成している。通水時には、舟を浮かべて下ることができるほど豊かな水を那須野ヶ原にもたらした。
       明治38年、昭和3年の取入口を始めとする改修を経て、昭和42年から平成6年までの長期の国営那須野原開拓建設事業により、那須疏水・蟇沼用水・木の俣用水の大改修及び用水系統の統合が行われて現在に至っている。



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