■「首都機能は北東へ」 国際日本文化研究センター教授 川勝平太氏
 私の役割は露払いです。首都機能の北東地域への移転実現を期して、多数ご参集になり、ご盛会おめでとうございます。 なぜ、今、首都を移すべきかにつきましては、既に皆様方もご承知のとおりです。今、日本は病んでいます。病んだ日本のフロンティアは日本の中にある。日本は制度が疲弊し、それを一新するために、新しい顔を必要としています。東京をもって日本の顔とする時代が終焉しました。新しい時代をみずから開くときです。日本を一新するために日本の顔すなわち首都を移す。その方角は北東です。 1995年に阪神・淡路大震災があり、災害に強い都市をもつことが課題になっています。災害対応力の強い首都でなければなりません。この点、栃木・阿武隈は地震による被害の最も少ない地域です。 一極集中の是正も課題です。国を多極分権型に変えねばなりません。その課題を首都機能移転によって実現できます。 平成2年に国会議員の決議があり、以後正式の手続きを踏んで、平成11年暮れに国会等移転審議会が答申をまとめました。答申では16項目について学者や専門家が厳密に検討しました。その結果、総合点で栃木・福島が第1位です。具体的には那須・阿武隈です。第2位との差は歴然としています。第2位の東濃地域とは10点以上、第3位の三重・畿央地域とは50点余りの開きがあります。点数からして三重・畿央は番外です。この答申は厳粛に受けとめるべきです。 附帯的条件として、近隣地域との連携が必要とあります。栃木・福島に隣接している茨城との間で県の頭文字をとった「FIT構想」が立ち上がっており、近年ますます緊密さを増しています。茨城は日本有数の田園県で、鹿島工業地帯を持ち、常陸那珂港という良港を持っています。ここから自動車道で那須地域に入れます。FIT構想における茨城と栃木の連携の強さは幾ら強調しても足りません。 もう一つの付帯条件として「大都市との広域連携」ということですが、那須から東京まで140キロ、仙台ともほぼ等距離で、絶好の地理的条件です。それに比べ、多治見・土岐・瑞浪という東濃地域は、名古屋からの距離が電車で30分ほどのところで、東京、仙台から那須への距離の2分の1ほどで近すぎます。名古屋の大都市圏がスプロール化する危険性があります。三重・畿央は名古屋と大阪の名古屋寄りですが、交通の便が悪い。 国会等移転審議会が検討した16項目に加えて、近隣地域との連携、大都市との広域連携となると、那須・阿武隈地域の中心性が一層際立ちます。 仙台は東北地域の中心ですが、宮城県のみならず、隣の山形、北東北3県、さらに北海道を加えた「北東地域」は、「北東銀河プラン」の策定過程に見られるように、まとまりがあります。それに比べると、私自身は関西の出身ですのでよく分かっておりますが、近畿地方における各府県間の壁は高い。 加えて、どなたも明言されませんが、皇居の問題です。那須には御用邸があります。那須ケ原は江戸時代には入会地でした。明治時代に那須疏水が開かれ、明治の元勲たちが土地を求め、松方正義の別荘に明治天皇が行幸され、その縁で大正天皇は那須に御用邸を設けられ、昭和天皇も那須に親しまれて新たに現在の御用邸をおつくりあそばされた。平成天皇は皇太子時代に戦争中にそこに疎開されていました。皇太子殿下は茶臼岳に雅子様を連れて幾度もお登りになります。明治、大正、昭和、平成、さらに皇太子殿下と、五代にわたり近代の皇族にこれほど愛着を持たれている場所はほかにありません。憲法は天皇の国事行為を定めており、首都と皇居とは密接な関係をもつべきものです。那須に御用邸があるのは隔絶した優位性です。
  
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