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更新日:2016年5月18日

県民の日・とちぎの由来

6月15日は県民の日ですルリちゃんは、「県民の日」のマスコットです。

県民一人ひとりが、郷土への理解と関心を深め、県民としての一体感のもと、より豊かなふるさと栃木県を築きあげることを期する日として、6月15日を「県民の日」に制定しました。この日は、明治6年、栃木県と宇都宮県が合併し、おおむね現在と同じ県域の栃木県が成立した日です。

県民に「県民の日」の趣旨がよく理解され、継続的な活動となるよう、毎年、記念行事を開催しています。

豆知識

栃木県・県名の由来

明治4年7月に廃藩置県が実施され、それまでの「藩」はすべて「県」となり多くの県が成立しましたが、その中に「栃木県」の県名はありませんでした。

明治4年11月に「栃木県」と「宇都宮県」の2つに整理統合され、「栃木」という県名は、このときの本県最初の県庁所在地「栃木町(現在の栃木市)」に由来しています。

さらに、明治6年6月15日に「栃木県」と「宇都宮県」が統合され、今日の栃木県が成立しました。

最初、栃木町(現在の栃木市)に置かれた県庁は、明治17年に宇都宮町(現在の宇都宮市)に移されました。

「栃木」の地名の語源は、はっきり分かっていませんが次のような説があります。

十千木(とおちぎ)説

神社「神明宮」栃木町(現在の栃木市)内に神明宮という神社があり、社殿の屋根にある2組の千木(ちぎ)と8本の鰹木(かつおぎ)が、遠くから見ると10本に見えたことから、神社の辺りを「十千木(とおちぎ)」と呼ぶようになったという説。

トチノキ説

トチノキがたくさん生えており、それが転訛して「トチギ」なったという説。

崩壊地名説

栃木町(現在の栃木市)内を流れる巴波川は、かつてたびたび氾濫を起こしたことから、千切れた地形(浸食された地形)の動詞「チギ(る)」に接頭語の「ト」が付いたという説。

遠津木(とおつき)説

「古事記」に登場する豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)が、木(毛)の国(現在の栃木県)と木(紀)の国(現在の和歌山県)を区別するため、遠くはなれた木の国という意味で「遠津木(とおつき)」と命名したものが、「トチギ」に転訛したという説

県名に「栃」の字が使われるようになった経緯

「栃」の字は、中国でできた漢字ではなく、日本でできた国字です。ちなみに、中国の漢字では「橡」と書きます。

本県の県名に、なぜ「栃」の字が使われるようになったかについては、いろいろと分からない点も多いのですが、次のような経緯があります。

近世

  • 地名ではほとんどが「杤」の字を使用していましたが、まれに「橡」や「栃」の字の使用もありました。
  • なお、「杤」の字も日本でできた国字ですが、読み方“とち”の“と”が数字の十、“ち”が数字の“千”で、10×1000が「万」になることから、「万」の字に「木へん」を組み合わせたものとの説があります。

明治4年(1871年)

  • 7月
    廃藩置県により下野国に多くの県が成立しました。
  • 11月
    県の統合により「栃木県」と「宇都宮県」が成立しましたが、「栃」を使った明確な理由ははっきりしません。また、その後も、実際の使用例では、「栃」、「杤」、「橡」など不統一でした。

明治5年(1872年) 

  • 10月
    表記が一定しないのは体裁が悪いことから、県名文字「栃」の統一を図るため、県庁構内に張り出し広報しました。

明治6年(1873年)

  • 6月
    「栃木県」と「宇都宮県」が統一され、ほぼ現在の形の栃木県が成立しましたが、漢字の表記については、その後も「杤」の字が多く使用され、不統一な時期が続きました。

明治12年(1879年) 

  • 4月
    県名文字を統一するため、「栃」の使用を県が正式決定し、その後数年を経て実際の使用表記も「栃」に統一されていきました。

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