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更新日:2013年5月10日

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板垣退助と日光のかかわり

板垣退助は、明治初期に自由民権運動を展開し、自由党を結成した政治家である。「板垣死すとも自由は死なず」の名言で知られる板垣は、日光の歴史にも深いかかわりがある。

明治元年(西暦1868年)、戊辰戦争の際日光廊にたてこもった幕府軍大鳥圭介らと対峙した官軍の将板垣は、二社一寺のある日光を戦火にさらすことを避けるべく、幕府軍に無血開城を迫り、みごと説得に成功した。その遺徳を讃え昭和4年に銅像が建立されたが、第二次大戦時の金属供出により軍需に供された。

現在、金谷ホテルの前にある銅像は昭和42年に再建されたもので、板垣が32歳当時の官軍の服装で日光の町並みを眺めている。

金谷ホテルの前にある「板垣退助銅像」

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