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更新日:2010年11月30日

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神々に通じる道「いろは坂」

いろは坂の沿革

いろは坂は、日光開山の祖である勝道上人のあとを追った山岳修験者が開拓したものが起源で、過去には「中禅寺坂」と呼ばれていた。奥日光は、二荒山神社の聖域であったため、明治5年まで女性、牛馬の立ち入りは禁止されていた。

明治20年代、内外の要人が奥日光を避暑地として利用するようになったため、現在の「第一いろは坂」の原型が整備され、大正14年には、日光自動車(金谷ホテルが設立)が中禅寺まで車を乗り入れるための工事費を出資し、幅員を3.5メートルまで広げた。その後自動車交通の増加に対応するため、いろは坂起点・終点に信号を設け、一時間ずつ上り・下り専用道路として利用していた。

 

 我が国2番めの有料道路

いろは坂は、明治時代以降利用されていた道が昭和29年に全面改修され、戦後の本格的有料道路としては我が国の二番目の有料道路として生まれ変わった。(最初の有料道路は、三重県松坂市の有料道路)なお、県管理の国道では我が国最初のものであり、昭和34年日本道路公団設立と同時に管理を引き継いだ。

「第一いろは坂」は、カーブが30箇所あったが、その後昭和40年に「第二いろは坂」

が開通し、このカーブを20箇所で開通したため、「第一いろは坂」のカーブを二箇所削って48に合わせたそうである。

全長15.8キロメートルの日本を代表する山岳道路であり、「日本の道100選」に選出されている。

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