重要なお知らせ
更新日:2026年8月2日
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古墳は、約1300~1700年前の有力者の墓で、長岡百穴(ながおかひゃくあな)古墳や吾妻(あずま)古墳をはじめ、県内に約8,000 基あるといわれています。トンネルや神社の近くなど、身近な場所にも残されています。今回は、県を代表する古墳の一つ、侍塚古墳の魅力をご紹介します。(上写真は下侍塚古墳)

横穴墓が特徴の「長岡百穴古墳」(宇都宮市) ©(一社)宇都宮観光コンベンション協会

県内最大規模の前方後円墳「吾妻古墳」(栃木市、壬生町)
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県では、重要遺跡を調べ、その歴史や文化を未来に伝えていくため、令和3(2021)年度から「いにしえのとちぎ発見どき土器わく湧くプロジェクト」を進めています。
調査対象は国指定史跡の「侍塚古墳」。「水戸黄門」でおなじみの水戸藩第2代藩主 徳川光圀(とくがわみつくに)が調査に関わった古墳です。本プロジェクトでは、古墳の構造や光圀の調査を明らかにするため、現代の最新技術を用いた測量調査や学術的な発掘調査を行いました。今年度はシンポジウムを開催し、調査成果を振り返ります。

▲上侍塚古墳の航空レーザー測量図
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大田原市の湯津上地区にある「侍塚古墳」は、今から1600 年以上前の古墳時代前期(4世紀)に造られた古墳です。「上侍塚(かみさむらいづか)古墳」と「下侍塚(しもさむらいづか)古墳」の2基からなり、特に下侍塚古墳は、古墳の形が良好な状態で残されていることから「日本一美しい古墳」と称されています。2基はいずれも全国トップクラスの規模を誇る前方後方墳です。
◀前方後方墳

元禄5(1692)年、光圀の命令により、侍塚古墳の発掘調査と修復事業が行われました。当時、侍塚古墳は、同じ湯津上地区にある「那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)」に記された人物の墓であるとの言い伝えがあり、それを明らかにすることが目的でした。
調査を指揮したのは「助さん」こと、佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)。碑文に関わるものは見つかりませんでしたが、銅鏡や壺など、多くの遺物が発見されました。

「徳川光圀画像(模本)」出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp)
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光圀は、詳細な調査記録を作成した後に、出土品を埋め戻して古墳を修復。盛土の崩落を防ぐために古墳の上に松を植えるなど、後世に残すように指示しました。これは現代の文化財保護につながる考え方とされ、日本で最初の学術的な発掘調査の一つとして位置付けられています。
光圀の命令により地元有力者の大金重貞(おおがねしげさだ)が上・下侍塚古墳の記録を作成。発掘調査で発見された品々が記録されています。

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古墳の詳細な形状や、元禄期に行われた修復の様子などが明らかになりました!
日時:10月10日(土曜日) 午前10時30分~
場所:那須野が原ハーモニーホール(大田原市)
※申し込み方法などの詳細は、決まり次第県ホームページでお知らせします

▲上侍塚古墳の葺石調査の様子
葺石(ふきいし)・・・古墳を覆う石

▲下侍塚古墳で発見された円筒埴輪片

▲葺石の間から出土した土器

▼今回の発掘調査の詳細を紹介!

▼県内の歴史スポットや文化財の見どころを紹介!
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